こんにちは、こんばんは。今日もお疲れ様です。
めちゃくちゃ突然ですが今日は私自身の事についてちょっと語ろうと思います。
(というかちょっと自分の中で行き詰ってるのでガス抜きさせてください)
私はレズビアンです。同性愛者とも言います。
これからもずっと恋愛対象が女性とは言い切れないし、あくまで自分の中でまだ一番しっくり来るかなぁってのがレズビアンというセクシャリティになります。
女性の身体で、女性として、女性が恋愛対象の事を、レズビアンと言います。
他にもセクシャリティについては、めーちゃくちゃいっぱい名前がついてるのでまぁ気になる人は調べてみてください。
最近は「LGBTQ」とか「ジェンダーレス」とか聞きなじみが出てきているので、レズビアンの人間がひとり居たくらいでそんなにびっくりしないかもですが、実際当事者と出会う方はまだまだ少ないと思います。
(仮に周りに当事者がいたとしても、実際カミングアウトする方はごく少数です。だと思います。)
例えば10年前と比べるとセクシャリティについて取り上げられる場面が多くなったとは思いますが、なんか、こう、言葉だけが独り歩きしているような、トレンドのようになっているような気がするときもあります。
まぁその事は考えてもしょうがないし、置いといて。
色々な土地に行ってそこで住んでいる方達とのコミュニケーションの中で、
恋人の有無の話になるのは当然の流れで。
女性である私に「彼氏はいるの?」と聞くのも勿論当然の流れなのも分かっているんです。
分かっているんですけど、「恋人は、います。」って返事の後続く会話が
「じゃあもうすぐ結婚だね」「子どもの事も考えなきゃね~」
アラサーな私にとっては世の中では結婚適齢期。
「恋人」と言った私の信号は今回も行き違う。
「彼氏じゃなくて、女性のパートナーがいます」
って言えない私が弱いのも分かっています。
でも、カミングアウトした後の相手の反応も想像できないし、相手との関係性が崩れる可能性もゼロじゃない。そんな危ない橋渡るくらいなら多少自分を偽って生きる方がまし。と思うくらいは甘えさせてほしい所です。
仮に女性のパートナーがいる女として生きていくと決めたとしても、それはかなりの勇気と覚悟が要ります。
なんで、女が女を好きってだけでこんなに考えたり涙したり強くならなきゃって思ったり、人に話すときも勇気と覚悟を持たなきゃいけないんだろう。
私たちだって普通に好きで愛しているだけなのに、なんでこんなに乗り越える壁が多いんだろう。
特に年配の方と話したりすると当然のように
「結婚は考えてるの?」とか、「子どもも~…」とか話してきますよね。
もう今更訂正するのも億劫で。
「はあ」とか「へえ」とか、言ってやり過ごすほかないんです。
私が男と恋愛できてればこんな思いしなくて済んだのになぁ。ってめちゃくちゃ思います。
あと最近聞いた話で、「ゲイじゃなくて良かったよね~あの人。」
なんて言葉を発している人がいました。
実際に周りに居たことないのは分かりますが、ゲイのなにがいけないんですか。
男女、結婚、出産、だけが正しい事ですか。
なんてわざわざ話すのも辟易とします。
なにが言いたいっかていうと、男女だけが恋愛する訳じゃないんです。
「恋人はいるの?」と聞いてくれるだけでも私は若干救われたりします。
同性を好きになったってだけで障害が多すぎます。
この障害を感じるたびに、「多様性」なんて薄っぺらい言葉だな。って思います。
頼れない言葉なら無い方がましです。
でも、誰が悪いとか、ないんです。
ただ、私たちみたいな(セクシャリティを隠して生きてる)人間もそこかしこに居るだけなんです。
「いるかもしれない」
と思うと変わってくる行動があると思います。
あるドラマで、レズビアンの役の方がパートナーにフラれる場面がありました。
理由はパートナーの方の世間体。家族にも言えないし、レズビアンだとバレるのは怖い。だから別れてほしい、との話です。
その後のフラれた側のセリフで、
「誰だって無駄に傷付きたくないよね」
とありました。
本当にそうなんだよなぁ。と思って心に残っています。
無駄に傷付きたくない、でも本当の自分も知ってほしい、でも受け入れてもらえるか分からない、っていう無限ループです。
私の場合、そんなループを何度も繰り返した中で慎重に相手の事を見て、「大丈夫」って思えた人にだけカミングアウトしています。
それですこしずつ事情を知っている人間は増えてきているので受け入れてくれてありがたいです。
自分の環境は恵まれているとは思いますが、悩んだりすることもあるってことです。
書いてから1日経つと少し気持ちも落ち着きました(笑)
ただの独り言でした。ご容赦ください。